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| 演劇 | アート

ドネルモ・トーク・アラウンド: 「チェルフィッチュ」‐「フリータイム」とか

「ドネルモ・トーク・アラウンド」はweb上で開催する座談会です。毎回のテーマに、注目の公演や映画などを取り上げていく予定です。

今回は、4月初めに北九州で公演されたチェルフィッチュの「フリータイム」(2008/4/4-5@北九州芸術劇場)をとりあげます。演劇界のみならず多方面で注目を集めるチェルフィッチュ。そして派遣労働の女性を独特の観点から取り上げた「フリータイム」。パネラーが、「フリータイム」の話題を中心に、チェルフィッチュを巡って、あれやこれやと語っております。それでは、どーぞ。

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フリータイムという拘禁
チェルフィッチュ「フリータイム」、北九州市芸術劇場、2008.4.5

公演チラシ

【ドネルモでは、先日のチェルフィッチュ『フリータイム』(@北九州芸術劇場.4/4‐5)を巡って、座談会を企画しました(4/20)。その模様は近日中にアップ予定です。それに先立ち、座談会に参加できなかったライターからレビューの投稿がありました。以下に掲載いたします。】


自分自身の生活秩序を自ら作り出す能力として自由を定義するならば、チェルフィッチュ「フリータイム」で描き出された「自由」とは、なんと窮屈なものであろう。とある「派遣の女性」が出勤前にファミレスで朝の30分をすごす。彼女はそこで自分の日記を書くのだが、それは自分にだけ分かればよいので、ぐるぐるとした線になってしまう。そういう彼女の意識のありようが、例によって様々な人たちの推測・伝聞というかたちで報告されていく。

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手段たちの、手段としての演劇
集団の声、集団の身体 1920・30年代の日本とドイツにおけるアジプロ演劇、早稲田大学演劇博物館、2007.11.24-2008.1.20

アジプロ

アートは一切の拘束から逃れてその表現のみを自由に追求すべき技術であると述べたのは『判断力批判』のカントであった。そんな「自由な技術」の立場から見れば、政治宣伝の道具としてのアートなど、アートの形容矛盾、嫌悪の対象でしかありえない。にもかかわらずそれは今日、ふたたびあやしい輝きを放って僕らの心を引きつけているようにみえる。それを実感したのが、日本とドイツにおけるアジプロ演劇を回顧する展覧会、「集団の声、集団の身体」(早稲田大学演劇博物館)であった。

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Royal de Luxe(ロワイヤル・ドゥ・リュクス)とは何者か。
『Royal de Luxe(ロワイヤル・ドゥ・リュクス)とは何者か』、ドネルモ・ミーティング、2007/9/13

Royal de Luxe先日のドネルモ・ミーティング(9/13)では、フランスの大道芸カンパニーRoyal de Luxe(ロワイヤル・ドゥ・リュクス)についてプレゼンが行われました。彼らのパフォーマンスは、高さが4〜12mほどもある巨大操り人形を使い、「巨大な動物か人間が町にやって来て、数日間、そこで絶え間なく生活して見せる」様を街の人々に目撃させることがその主な趣旨になっています。今回はとくに、YouTubeに投稿された映像を通して日本でも一部で話題になった、彼らの巨人シリーズ最新作『スルタンの象』(こちらをクリック)を取り上げました。スルタンの象も巨人シリーズの慣例にならい、巨大な少女や巨大な象に乗った王さまの一行が街を練り歩きます。

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「はっきり言えない」をはっきり言う
チェルフィッチュ「三月の5日間」、イムズホール、5/2〜3、(第1回福岡演劇フェスティバル)

チェルフィッチュ遅くなってしまいましたが、今月頭にあったチェルフィッチュ『三月の5日間』(5/2:イムズホール)のレビューです。ひたすら感銘を受けました。演劇に詳しくない私が思うに、保坂和志の小説(『プレーンソング』etc)、今放送中のアニメ『らき☆すた』(特に第1話)、高野文子の漫画(『奥村さんのお茄子』etc)、ユスターシュの映画『ママと娼婦』、福岡関係ではアマンダ・ヘンの『おしゃべりしましょう』etcでなされていたこと−一見無駄話に思える「日常会話」が、人の意思とは無関係に独自に繰り広げる運動やリズムを扱う試み−が、実にスマートに舞台化されていました。舞台上には、言葉が自分の思っていることを伝える手段としてはいまいち不適切であること、そんな不十分なメディアではあるが、しかしそれでもなお自分について語り、他人と関わろうとする僕たち私たち、そこで生じる他人との、そして自分自身との距離感etc、まったく、他人事とは思えないアクチュアリティがあったのです。
左の画像はDVDのパッケージ

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「スリリング」な一人芝居−office-over.火曜劇場
office-over.『ウエストバージニア州立大学最期の学内放送』(火曜劇場、1/22-23、ぽんプラザホール)

一人芝居を観て来ました。ぽんプラザホールで定期的に開催される火曜劇場のシリーズで、今回は仙台からやってきたoffice-over.の『ウエストバージニア州立大学最期の学内放送』という演目でした(1/22:ぽんプラザホール)。上演時間、30分足らず。これは、特筆すべき点かと思われます。ダラダラすることなくすいすい進みました。短いけれども、テキストはまとまっており、演出も緻密、一人芝居独特の面白さも加味された「作品」でした。以下では、演劇素人の僕が思う、面白かった点といまいちだった点について書いています。

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「多様」は何を含むのか?

「アングラ」論議、華やかです。先日、ダンスと観客とが取りうる関係は「サービス」以外にもあり得るのではないか、それはもっと多様なものでは、という趣旨の記事を見かけました。この記事を執筆された方に対して私は、ではその「多様」とは具体的にどのようなものなのか、と聞きたい気がします。

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「アングラ」劇の現在-「ARASHI」をみて

劇団犯罪友の会福岡市文化芸術振興財団などが主催した、演劇「ARASHI」(8/6ゆめアール大橋)を見ました。この演劇自体についてのレビューは財団のホームページにアップされる予定なので、ここでは触れないことにします。しかしながら、上演から10日以上たった今日でも、私の脳裏にこびりついている問題があります。それは、上演翌日の批評ワークショップにおいて、一般に「アングラ」と呼ばれるような演劇の思想を、演出や出演者が、自分自身の思想として力を込めて語った、ということです。

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