最近、安室奈美恵のコマーシャルが話題になっています。Vidalsasoon CM collaboration videoというプロジェクトで、スタイリストのパトリシア・フィールド(「セックス・アンド・ザ・シティ」「プラダを着た悪魔」etc)、ヘア・スタイリストのオーランド・ピタ(マドンナetcハリウッドセレブ御用達)とのコラボレーションです。ヴィダル・サスーンのHPでは、CMだけでなく、ミュージックビデオの全体を高画質で見ることができます(こちらをクリック)。60年代、70年代、80年代を表す音楽にそれぞれビデオを付けたもので、全体で三曲構成です。すでに解禁となった最初の二本を見た感想はといえば、ついにここまできなしゃったか、ご立派じゃ、と思わず九州弁になってしまいます。そのくらい自分が田舎者に思えてしまったのです。
先日のドネルモ・ミーティング(9/13)では、フランスの大道芸カンパニーRoyal de Luxe(ロワイヤル・ドゥ・リュクス)についてプレゼンが行われました。彼らのパフォーマンスは、高さが4〜12mほどもある巨大操り人形を使い、「巨大な動物か人間が町にやって来て、数日間、そこで絶え間なく生活して見せる」様を街の人々に目撃させることがその主な趣旨になっています。今回はとくに、YouTubeに投稿された映像を通して日本でも一部で話題になった、彼らの巨人シリーズ最新作『スルタンの象』(こちらをクリック)を取り上げました。スルタンの象も巨人シリーズの慣例にならい、巨大な少女や巨大な象に乗った王さまの一行が街を練り歩きます。

来月9月21日から、福岡と東京の2会場にて開催される「アート・オープン・カフェ(Art Open Cafe)」の申込受付が始まりました。「アート・オープン・カフェ」では、福岡にかかわりを持ち、各界の第一線で活躍されているゲストをお招きし、受講者のみなさまと、様々なテーマについてお話します。3回目となる今回は、個性的な文化都市福岡と東京の関係について考えます。ドネルモも、企画段階から参加しています。
講座の日程、申込方法等、詳しくは、公式HP(こちらをクリック)をご参照ください。
来月9月21日から、福岡と東京の2会場にて開催される「アート・オープン・カフェ(Art Open Cafe)」の申込受付が始まりました。「アート・オープン・カフェ」では、福岡にかかわりを持ち、各界の第一線で活躍されているゲストをお招きし、受講者のみなさまと、様々なテーマについてお話します。3回目となる今回は、個性的な文化都市福岡と東京の関係について考えます。ドネルモも、企画段階から参加しています。
講座の日程、申込方法等、詳しくは、公式HP(こちらをクリック)をご参照ください。

博多織ということで伝統的な着物のショーだとばかり思っていましたが、和服はただの一つもなく、まるでクレーの抽象絵画のような洋服たちにしばし圧倒された30分でした。最初に登場した酒井洋子さんの『風まとう』シリーズはどれも息をのむほどに美しく、とりわけ6番目の「着物風ドレス」では白地に映えるローズピンクのグラデーションに引き込まれそうでした。
伝統的な織物を現代的にアレンジするという手法は、たとえば革製のバックに着物の帯の柄をあしらうなど、えてして和洋折衷的なものとなり、洗練には今ひとつとなりがちです。しかしながら今回のショーでは、ほとんどの作品がそうした危険から免れてたように思うのです。(画像:NOZOMI ISHIGUROデザインの靴)
大学の敷地を意味する「キャンパス」という言葉は、オープン・スペースを意味するラテン語のcampusから来ている。だがこのラテン語に由来するもう一つの英語がある。それはキャンプである。キャンプとキャンパスはいわば兄弟のような言葉なのだ。ところがこのキャンプという言葉は、concentration camp(強制収容所)という用語法に見られるように、ある特定の属性を持つ人たちを集めて閉じ込める「収容所」という意味を持っている。九大伊都「キャンパス」から感じるのは、この「キャンプ」の響きである。
紅白歌合戦でOZMAが裸の着ぐるみを来たダンサーの踊りでひんしゅくを買い、NHKの会長の謝罪(ここをクリック)にまで発展したそうです。家族をテーマにした今回の紅白にふさわしくなかった旨の会長のコメントなど、「おいしすぎ」といえるでしょう。騒ぎが大きくなればなるほどOZMAの思うツボなのに、NHKは彼の舞台装置になることを自ら積極的に選択しているかのようです。今回は彼の完勝といったところでしょうか。ひとまず喝采を送りたいと思います。
湾岸戦争で航空機が爆弾を落とすシーンがテレビで流れたとき、戦争がゲームになったと論じられました。ゲーム感覚で戦争を捉えることにより、爆撃で人が死んだり、戦車が街で戦ったりするときの惨状が、覆い隠されると言われたものです。しかし、湾岸戦争以前から戦争はすでにシミュレーション(模擬ゲーム)であったように思います。そのシミュレーションにおいて、現実をシミュレートする想像力が弱かった場合、戦闘の現実の結果に逆襲されることになる、その典型例が60年前の日本にありました。
先週末、博多祇園山笠は「追い山」でフィナーレを迎えました(7/15早朝)。それに先立ち、博多のまちでは先週山笠が行われていました。中州のまちの夕暮れ時に、斜光線のなかに水しぶきが上がり、そこを男たちの御輿が道路を圧して展開する迫力と美に、我を忘れてしばし見入った記憶があります。
表題は大げさですが、最近よく耳にするヒューマニスティックな論調について思ったことを書きます。
『「恋する力」を哲学する』という新書』を立ち読みしてみました。どうやら著者は、恋の対象を人間に限定しているらしく、「恋の力」もヒューマンな方向に理解しようとしていらっしゃる。人に恋するのは多いにかまわないのですが、でもモノに恋することも扱うべきなのではないか、そのような疑問を感じました。そもそも近代批判が叫ばれてからしばらく経っているのに、恋という極めて近代的な概念は、ほとんど反省されていないように思います。