手段たちの、手段としての演劇集団の声、集団の身体 1920・30年代の日本とドイツにおけるアジプロ演劇、早稲田大学演劇博物館、2007.11.24-2008.1.20

アートは一切の拘束から逃れてその表現のみを自由に追求すべき技術であると述べたのは『判断力批判』のカントであった。そんな「自由な技術」の立場から見れば、政治宣伝の道具としてのアートなど、アートの形容矛盾、嫌悪の対象でしかありえない。にもかかわらずそれは今日、ふたたびあやしい輝きを放って僕らの心を引きつけているようにみえる。それを実感したのが、日本とドイツにおけるアジプロ演劇を回顧する展覧会、「集団の声、集団の身体」(早稲田大学演劇博物館)であった。






ちょうど一ヶ月前に観た