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それでも僕らは愛せずにいられない―ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団『フルムーン』
ピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踏団『フルムーン』、びわ湖ホール、2008/4/3

vollmond今話題のびわ湖ホールで行われたピナ・バウシュ『フルムーン(原題は“Vollmond”)』に行ってきた。(フルムーンの映像はyoutubeで観ることができる。
【画像:Ensemble. Foto: © Laurent Philippe(ピナの公式HPから)】

ピナ・バウシュの『フルムーン』で重要なモチーフとなっていたのは、満月ではなく、水であった。月を思わせる舞台美術はせいぜい中央に置かれた巨大な岩状の物体ぐらいで、むしろ目立ったのは、時折天井から落ちてくる大粒の雨を思わせる水だったり、舞台後方に作られていた浅いプールだった。そのような舞台上で、ダンサーたちは、ペットボトルに入れられた水を手に踊ったり、プールの中に入ってお互いに水を掛け合ったりしていた。水との共振ともいうべき身振りを延々とコラージュしていくことで、作品は進行していったのである。

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ミュージアム展示の殿(しんがり)
エミリー・ウングワレー展、国立国際美術館、2008/2/26〜4/13

アボジリニが生んだ天才画家 エミリー・ウングワレー展」に行ってきました。オーストラリアの先住民族アボリジニの画家ということでプリミティヴ・アートかと思いきや、なんとこれがバリバリの抽象表現主義でした。抽象表現主義というのは、20世紀半ばのアメリカを中心に起こった絵画上の芸術運動です。具体的なモノを描かず、線と色彩だけで抽象的な絵画を構成…と書けばどこか格好がよろしいけれども、端的に、絵の具をカンヴァス上にどばーっと塗りたくった絵だと言えましょう。「俺でもできるんじゃ?」「どこがアートなの?」といった疑問を生み出す格好の例であります。

がしかし、抽象表現主義は、西欧近代美術の歴史的展開の先端に位置付けられる偉大な芸術運動だった!そして、その作風が西洋美術と何ら接点のないアボリジニの画家からも生み出されていた!!というのですから、もう、普遍性の夢を生きるモダニストには滂沱必至の展覧会といえましょう。かくいう私も、その精神の営為に、そして展示の優しさに、大いに感銘を受けたがために、ここにレビューする次第です。
エミリーの作品とキャプションは、こちらでご覧になれます。)

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ミュージアム展示の最前線
大阪人権博物館(大阪市浪速区浪速西3−6−36)、総合展示、2008.2.21

リバティおおさか何か珍しいものが展示されていて、人々はその希少価値のゆえにそれを見学にいくという構図が、博物館・美術館にはどうしても付きまといます。しかしながら大阪の浪速区にある「大阪人権博物館リバティおおさか」は、そうした博物館のイメージを一新させる力に満ちています。この博物館は、「人権に関する総合博物館」として、日本社会の歴史と文化に根ざした差別問題を取り扱うことを通じて、人権尊重のメッセージを発信することを目的に設立されました。こう書くと、なにやらいかにも行政的な人権啓発の「きれいごと」をイメージするかもしれません。しかしその展示は、その形式にせよ、内容にせよ、とにかくアバンギャルドでエキサイティングだったのです。

(※掲載画像はリバティおおさか様より御提供いただきました。)

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ライプとケルパー、二つの身体のあいだで

ケルパー


サシャ・ヴァルツ&ゲスツによる「ケルパー」を見てきました。ほとんどいわゆる踊りらしい踊りもなく、ほぼ全裸のダンサーたちが、狭い箱のなかに折り重なったり、みなで並んでペンギンのようによちよち歩きをしたりといった感じで、普通の意味でのキレのいい美的なダンスを期待した観客には失望を与えていたようでした。しかしそこには、現代人が避けて通ることのできない身体のあり方が問題として提示されているように思いました。

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見ることと見られること
incubation07 片岡健二×渡辺豪、京都芸術センター、2007/7/1-7/31

incubition07京都芸術センターで開催されているincubation07展では、渡辺豪と片岡健二の作品がそれぞれ南北のギャラリーに展示されている。どちらも顔を正面から捉えたポートレート作品ではあるが、渡辺の作品(画像:右)は冷たい印象を与え、片岡の作品(画像:左)は暖かな印象を与える。しかし、そのように異なった印象を与えるこれら二つの作品においてもっとも違っているのは、眼差しとの関わり方においてである。結論から先に言えば、渡辺の作品においては、作品に描かれた人物によって私たちが眼差され、片岡の作品においては私たちが描かれた人物を眼差しているのだ。こうした違いは、両作品に描かれた「顔」を私たちがどのように体験しているのか、その体験の仕方の違いだと言っても良いだろう。(画像はこちらのサイトから)

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メーヴェという翼
『OpenSky2.0』DVD発売記念トークイベント、八谷和彦×やなぎみわ、shin-bi(京都)、2007/6/9

opensky人は道具を発明し、洗練させて、使う。道具とは人にとって、あくまで何かの目的を達成するための手段に過ぎず、いかなる道具であろうと人が「使う側」であり続け、道具は「使われる側」に過ぎない。普段僕たちが想定している人と道具との関係は、おおよそこのようなものでしょう。しかし、先日京都で開かれた八谷和彦さんのトーク・イベントで提示された人と道具との関係は、このようなものではありませんでした。人と道具とが互いに交流しているかのような、相互に依存する関係が示されていたように思います。

八谷和彦さんといえば、九州芸術工科大学の卒業生なので、ご存知の方も多いでしょう。先に挙げたトーク・イベントは、八谷和彦さんが数年前より着手した「個人的に飛行装置を作ってみるプロジェクト」(以下、「飛行装置プロジェクト」)のドキュメンタリーDVD『Open Sky2.0』の販売を記念して、彼の友人の美術作家やなぎみわさんを迎えて行われました。八谷さんの話が面白かっただけではなく、やなぎみわさんの「ツッコミ」も冴え(個人的に一番面白かったのは、宮崎駿監督への「ナウシカみたいな女の子なんていないよ!」というツッコミでした)、とても充実したトーク・イベントだったように思います。

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あっぱれなダンス-伊波晋のhandance

京都ダンスプロダクション-ここから世界へ-(2007/3/24-25、京都芸術センター)で上演されたのは、伊波晋の「handance 海蝉」、Monochrome Circus(振付・坂本公成)の「きざはし」、そしてきたまり率いるKIKIKIKIKIKIの「サカリバ」でした。この3作品は昨年8月の公開オーディションで選出され、その後映像、音楽、衣装とのコラボレーションやダンス批評からの刺激も受けつつ、ワークインプログレスとして製作されたのだそうです。

「サカリバ」も面白かったのですが、個人的には伊波晋の作品を興味深く感じました。アフタートークの際、自らを「やりたがり」だと説明した伊波晋は、なるほどたしかに「やりたがり」らしく、振付のみならず映像、音、ダンスを全て一人でこなしているそうです。もっとも、「やりたがり」のナルシスティックな本性がストレートに現れていたのは、作品の構造においてだと思われます。

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