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| 過去の記録 | トーク・アラウンド(座談会)

Royal de Luxe(ロワイヤル・ドゥ・リュクス)とは何者か。
『Royal de Luxe(ロワイヤル・ドゥ・リュクス)とは何者か』、ドネルモ・ミーティング、2007/9/13

Royal de Luxe先日のドネルモ・ミーティング(9/13)では、フランスの大道芸カンパニーRoyal de Luxe(ロワイヤル・ドゥ・リュクス)についてプレゼンが行われました。彼らのパフォーマンスは、高さが4〜12mほどもある巨大操り人形を使い、「巨大な動物か人間が町にやって来て、数日間、そこで絶え間なく生活して見せる」様を街の人々に目撃させることがその主な趣旨になっています。今回はとくに、YouTubeに投稿された映像を通して日本でも一部で話題になった、彼らの巨人シリーズ最新作『スルタンの象』(こちらをクリック)を取り上げました。スルタンの象も巨人シリーズの慣例にならい、巨大な少女や巨大な象に乗った王さまの一行が街を練り歩きます。

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しくみデザインのしくみ

先日(6/28)のドネルモ・ミーティングでは、独創的なデザイン理念からビジネス展開をされている、「汲オくみデザイン」のスタッフの方々をお迎えして、活動理念や活動内容などについて、いろいろとお話を伺いました。そのとき話題の中心になっていた「インタラクティブinteractive(相互作用)」という考え方に着目しつつ、ミーティングの模様を振り返ってみることにします。

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来るべき未来とその残余
ドネルモ・ミーティング、テーマ:ゆずれないものを知る―『時をかける少女』から、2007/6/7

時をかける少女 通常版
前回のドネルモ・ミーティング(6/7)では昨年公開され、話題となった『時をかける少女』(細田守監督、2006)についてプレゼンが行われました。この作品は主人公・真琴がタイムリープ(過去に戻ること)を通じ、今現在起きている些細な日常のかけがえのなさとそこに潜む無数の後悔に気づく過程を丁寧に描いています。ここではその時話し合われたことを報告します。プレゼンの内容は下記に要旨をつけていますので、よければそちらもご覧ください。

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限りなくプライベートなビデオ・アート
ドネルモ・ミーティング、テーマ『PROJECTION 北九州-福岡 ビデオアート 07』、2007/4/19

projection先週のドネルモ・ミーティング(4/19)は、現在福岡と北九州を会場に開催されている「PROJECTION 北九州-福岡 ビデオアート 07」(4/14-5/6:ドネルモもカタログのテキストetcで協力)を企画運営するin-betweenの方による展覧会についてのプレゼンだった。

1970年代福岡では、低コストで扱いやすい8ミリビデオを使ったアート運動が盛り上がったそうだ。当時は様々な分野のアーティストがこぞって8ミリビデオ作品を制作したらしい。その魅力は映画・テレビなどの巨大資本なしで、個人の作家が動画の編集や表現をできるようになったことだろう。しかしビデオ・アートの新しい可能性を夢見た当時と異なり、現在のビデオ・アート作品を斬新なものと見ることは難しいように思える。というのもビデオというメディア自体が一般にも普及し、簡単に動画の編集が可能となり、そうした個人の編集作品がネット上にも様々な動画投稿サイトで見られるようになったことで、アーティストが撮ったものを特権的にアート作品として上映することに対して、どうしても疑念が生じるからである。つまり「誰でもアーティスト」の様相を呈する今、あえてビデオ・アートの領域を保持することが問題となるのである。

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なぜにそもそもアートに関わるのか
土本典昭「わが街わが青春ー石川さゆり水俣熱唱」(1978年、43分、青林舎)

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アイロニーと美少女−《ニア・イコール 会田誠》
ドネルモ・ミーティング《ニア・イコール会田誠》、2006/11/9

三十路―会田誠第二作品集
先週のドネルモ・ミーティング(11/9)では、現代美術家会田誠のドキュメンタリー《ニア・イコール 会田誠》を上映し、その後集まった方々といろいろお話しました。話題になったことを、簡単にまとめてみます。

裸の少女がミキサーで掻き回されている《ジューサー・ミキサー》、戦争画のパロディである《紐育空爆 図》や《美しい旗》、他にも中学校の教科書に乗っているという《あぜ道》のような作品から、《巨大フジ隊員VSキングギドラ》《犬》といった美少女とエログロ等々、会田誠はスキャンダラスな題材をしっかりとした技法で描きます(代表作はこのサイトで見ることが出来ます)。まず話題になったのは、会田の作品のもつアイロニカルな側面でした。

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It‘s YOUR logic.
ドネルモ・ミーティング:「ダンスのロジック」、2006/10/12

「ダンスという本体があるのではなく、ダンスという現象があるのだ−」
この前置きから始まった10月12日のドネルモ・ミーティングは、「ダンスのロジック」と題して非常に熱いプレゼンがなされ、またかなり充実した言葉のバトル(?)もなされました。ダンスのみならず、表現という行為やドネルモ自体の意義も自分なりにわかったような気がして、ダンスにも現象学にもきちんとした素養がない私にとっても、非常に有意義な会となったのでした。プレゼンや話された内容を、なるべくわかりやすくレポートしてみたいと思います。

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実相時昭雄の映像作品
ドネルモ・ミーティング、2006/10/26

10/26のドネルモ・ミーティングでは、福岡在住の美術作家、角さんにお越しいただき、知られざる名匠、実相時昭雄の映像作品を見ました。角さんには豊富な映像と、「映画監督・実相時昭雄たん」と題した充実したレジュメ、それに「スペル星人」についての貴重な資料まで(!)お持ちいただき、熱のこもったプレゼンをしていただきました。どうもありがとうございました!(角さんは同じ内容のプレゼンを11/10にart space tetraでもされるそうです。興味のある方は、是非!)

《今回観た作品》
・ウルトラマンマックス 第22話《胡蝶の夢》(2005)
・ウルトラセブン 第8話《狙われた街》(1967)
・ウルトラマンマックス 第24話《狙われない街》(2005)
・ウルトラセブン 第12話《遊星より愛をこめて》(1967)
・怪奇大作戦 第25話《京都買います》(1969)〔第23話《呪いの壺》も少しだけ上映〕

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「成熟した子供」なりの事情
ドネルモ・ミーティング、2006/10/5

Off Nibroll [public=un+public]
今週末に、ニブロールの新作《NO DIRECTION. everyday》の公演があります(10/28-29:イムズホール)。ニブロールは、振付家、衣装デザイナー、映像作家、照明アーティスト、音楽家の5人からなるディレクター集団です。舞台は、映像やら音楽やら照明やらが入り乱れるなか、数名の出演者が様々に動き回ります。

ニブロールについて、ドネルモでは「水たまりでジャブジャブやる、その心地よさについて」と題し、これまでのニブロールの映像やその他のダンスの映像等を見ながら、集まった皆さんといろいろお話しました(10/5:ドネルモ・ミーティング)。プレゼンの内容とドネルモで話されたことを、以下にまとめています。皆様がニブロールに興味を持たれるきっかけになれば、さいわいです。

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ビジネスとアートの間

『ペイル・コクーン』を見て感じたのは、この作品が既存のアニメのジャンルから少しずつ距離を置いて、アニメの新しい領域を模索しているという印象でした。そのジャンルを非常に大きく分けると、普通に民放などで放映される商業アニメと芸術的手法により作られるアートアニメに区別できると思います。

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「リアリティ」の虚構性

イディオッツ 260年代後半に流行した「ノンポリnon-political」という言葉があります。この言葉は、学生運動の最中、政治問題に無関心である人を指す言葉として使われました。時代が移り変わり、「ノンポリ」は死語となりました。これは、何も政治問題に無関心な人がいなくなったためではありません。

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言葉のダンス/嘘だから言えること/データ・アーカイヴという魔法

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(C)Yasuhiro Yoshiura / Directions,inc.

先日のドネルモ(7/6)では、吉浦康裕さん(九州芸術工科大学を卒業、現在東京でご活躍中)のアニメ(《ペイル・コクーン》と《水のコトバ》、DVDで発売中)を見て、皆さんとあれこれ話しました。以下では、それぞれの作品へのレビューを、ドネルモで話したことを交えつつ、書いています。(上記画像は《ペイル・コクーン》から)

【先月、吉浦さんの講演会&上映会が開催されました(6/12:九州大学大橋キャンパス多次元ホール)。その際、吉浦さんにメール・インタビューをお願いし、これに応じていただける予定です。インタビューがまとまり次第、記事として掲載いたします。】

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傲岸な映画の批判の矛先

イディオッツ先日のドネルモ(6/22)ではラース・フォン・トリアー監督の映画《イディオッツ》を取り上げました。(ドネルモで皆さんといろいろ話した後、以前のレビューを書き改めました:担当者。)

《イディオッツ》では、俳優たちが知的障害者の「振り」をし、そして映画は「振りをする」グループを対象としたドキュメンタリーの「振り」をします。いわば全編やらせのドキュメンタリーになっているわけです。

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恋する機械

(先日のドネルモ(6/8)では、ビョークのPVを観ながら、集まった皆さんといろいろと話しました。以下は参加された方によるレビューです。)

All is full of loveビョークの数ある有名な作品のなかでも、もっとも人気のあるミュージック・ヴィデオ作品「All is full of love」(監督クリス・カニンガム/『コンプリート・ヴォリューメン 1993-2003』所収)は、二人のロボットが愛し合うシーンにより構成されています。彼女のヴィデオ作品はアイスランドの自然やむき出しの身体性に依拠したものがほとんどなのですが、このヴィデオは、彼女が否定しようとした文明と機械のモチーフによって、もっとも成功した作品の一つとなっています。

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「リアリティのなさ」というリアリティ

ドネルモの会(5/25)で観た映画「SHOAH」についての感想です。

映画を観た直後、感想を話し合う際、研究室に何やら言葉にしがたい重たい雰囲気が漂っているのを感じました。そんな中、最初に感想を話してくださった方の「まるでニュースを見ているようでした…」という言葉は印象的でした。普段TVで見るニュースは、実際に起こっている事件であるのにもかかわらず、リアリティを全く感じることができません。どんなに悲惨な事件であろうと繰り返しニュースを見ているうちに「慣れ」てしまい何も感じなくなってしまいます。

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ショアーと「まんが 世界の歴史」

世界の歴史(先週開催されたドネルモ第2回(5/21:映画『ショアー』)に参加された方によるレビューです。)

まんが『世界の歴史』の分かりやすさと、ショアーの持つ理解しにくさには、細くて長いつながりがあるように思えます。

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SHOAHの手法−真実は『藪の中』

SHOAH第2回のドネルモの会(5/25)では、<SHOAH>というドキュメンタリー映画を抜粋で見た後で、集まった皆さんと映画についていろいろ話しました。(下は上映会の様子)上映会

映画の中のホロコーストの証言者たちの言葉をききながら、私は『藪の中』という小説を思い出していました。芥川龍之介の『藪の中』は、ある事件(藪の中でおきた殺人)の真相を当事者たちがそれぞれに語るという形なのですが、一人一人の証言は食い違っており、結局事件の真相は分かりません。真実はただ『藪の中』というわけです。

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「ショアー」とドゥルーズ

richter landショアーとは、ホロコーストのことを意味します。ナチスによるユダヤ人のホロコーストに対する様々な証言を集めたドキュメンタリー映画が「ショアー」(1985年フランス)です。この作品の成立にはサルトルが深く関与し、彼の弟子であるクロード・ランズマンが全編の監督・インタビュアーの役割を果たしています。しかしながらこの映画は、その思想的母体であるはずのサルトルの実存主義を遙かに凌駕する枠組みによって成立しているといえそうです。

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