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極端なものの魅力―狼と方言

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ある人格の中で、両極端なものが両立しつつ組み合わさっているとき、大きな魅力が生まれることがあります。普段何でもテキパキとこなす人が、何でもないことでミスをしたり、とても苦手なものがあったりすれば、愛嬌を感じるでしょう。また一見怖そうな人が、常に低姿勢だったり、弱気だったりすれば、そのギャップが面白かったりします。そうした魅力的な存在を表現するのに成功した作品に、アニメ『狼と香辛料』(監督:高橋丈夫、制作:IMAGIN)があります

この作品は中世ヨーロッパを舞台に、馬車で各地を巡る行商の青年と、麦に宿り豊作を司る狼の神(少女の姿)が、商売にまつわるエピソードをはさみながら旅していくという物語です。狼は自分を数百年生きている「賢狼」と呼び、その経験・知恵を折に触れて自慢するのですが、長年祭られてきた土地で人間たちが新技術を使って食糧を増産できるようになったため、自分の存在意義に疑問を感じ、故郷である北の地へ帰ろうと行商人と共に旅しています。

このアニメの最大の魅力となっているのが、少女の姿をした狼の描き方です。一見ただの少女ですが、自ら賢狼というだけあって、年若い行商人に農民の世界観や商売上の交渉術などについて色々と教え、小僧扱いしてからかいます。さらに自然を克服しようとしている中世で、人間に味わわされた苦難(羊を襲う害獣として狩られたり、悪魔憑きとして教会に狙われたり)を語り、人間と自然の対立というテーマを体現する存在でもあります。

しかし反面、自分を「わっち」と呼び、語尾に「〜くりゃれ」や「〜ありんす」と方言とか遊郭風の言葉が混ざったようなしゃべり方をしたり、ことあるごとに頼りなげな表情で弱気な言葉をもらしたりします。その時には前述した尊大で自信ありげな態度とのギャップが激しく、印象が180度反転し、次はどう変化して楽しませてくれるのかと目が離せなくなります。こうした極端に相反する性格付けが、虚々実々の緊迫感きわまる商談のシーンにも現れるので、シリアスでありながらコミカルという作風が一層際立っているように思います。

そしてこの少女の姿をした狼には、耳と尻尾が残っています。この耳と尻尾が場面ごとにクルクルと動き、ただの人間の所作よりも一層鮮やかに人格(キャラ)描写・場面演出を際立たせます。嬉しい時には尻尾を振り、緊張した時には耳が立つというくらいではなく、何気ない会話でのちょっとした仕草や商談の最中で何か気付いたときなど、第二の表情といえるくらいに場面を盛り上げています。

こうした非現実的なものを、演出の仕方次第で違和感なく印象的に描けるのは、アニメならではといえましょう。二次元独特の世界で、現実には再現が難しそうな方言を話す狼少女の極端さを一度ご覧になってはいかがでしょうか。そんなにキャラに魅力を感じないという人も、中世ヨーロッパの商人世界や人々の暮らしぶりが疑似体験できますので、ぜひどうぞ。(スイカ人間)

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コメント (2)

不覚ながらわたくしも:

 普段この手のアニメは見ないのですが、レンタル店で借りてきてみました。たしかにこの作品には独特の魅力がありますが・・フェミニストの皆さんに怒られそうなキャラぶり全開で、第一話目から思わずどぎまぎしました。

 こんなオオカミ少女は現実にはいないだろうから、二次元にのみ萌えてしまうスイカ人間さんの気持ちもわかるような気がしました。イノセントで頭が切れる、わがままでやさしい、コケティッシュで暴君、女の子でオオカミ、華奢でパワフル、明確な主体性とたよりなさ、などと数々の理論的二律背反を実践的に乗りこなすところに魅力がでるのでしょう。

 しかし私は思うのですが、このキャラの一番の魅力は矛盾の同居というよりは、自分が振りまいている魅力をこのオオカミ少女が自覚していない、というところにあるのではないでしょうか。魅力というのは、自分が全くそれを自覚していない、というかたちをとるとき、より強力に発信されるものだと思います。たとえばレースクイーンの笑顔のような、自覚され、目的的に発せられる魅力は、オタクの人たちの萌え萌え感官をスルーしてしまうと思うのです。本人が自覚することなく「動いてしまう」耳としっぽ、これこそが萌えの黄金律といえましょう。

スイカ人間:

 新しい視点からのご指摘、ありがとうございます。

 おっしゃるとおりキャラの魅力は、そのキャラが自身の魅力に自覚的でないとき、狙っていないとき、自然な振る舞いのときに最大限発揮されるようです。「わたくしも」さんが言われるように、萌えはそのキャラの自然さ、装わなさに向いています。

 そもそも萌えが宿るのは、自分の振る舞いの効果を完璧にコントロールして、他のキャラ(あるいは視聴者)を初めから魅惑するような成熟したキャラではなく、魅力的効果を計算することなく、作品内の出来事において、ひたすら一生懸命に動き回る、ある種の若さをもったキャラにおいてのように思えます。この魅力を意図せぬ動きの結果、見る側において憧憬にも似た感動が生まれるのであって、もともとキャラの方から魅力的効果が意図されていてはならないわけです。だからこそ、人工的な調和をもった美しさよりも、自然的で瑞々しく頼りなげでさえあるあり方をさして「萌え」という言葉が使われるのでしょう(もちろん作り手が、そうした印象を与えるべく、より緻密にキャラの「天真爛漫さ」を作りこむ場合もあるでしょうが)。

 今回取り上げた耳やしっぽとは、そうした天然的キャラ造形の極致であり、顔の表情において意図的に装われた魅力と違い、キャラからどうしようもなく「無意識に」発露され、一瞬ぱっと見る側を打つようなひたむきさ・素直さの輝き、そういうものではないかと考えられます。この自覚的でないものの発する魅力については、また改めて考えてみたいと思います。

 

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